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都会にいるとあまり気づかないが、田舎に行くとブラジルにはシブい椅子がたくさんあることが分かる。椅子なら都会にもたくさんあるじゃないか、と言うかもしれない。確かにそうだ。しかし都会で見る椅子はせいぜいオフィスの椅子、レストランの椅子、自宅の椅子、知人の家の椅子ぐらいで、あまり意識の中に入ってこない。それにたとえかっこいいインテリアの家具を使っていたとしても、演出された表面的な美にすぎず、どこか味気ないのである。 一方、田舎では人々が家の前に椅子を置きっぱなしにしていることが多く、嫌でも視界の中に飛び込んでくる。ほとんどが使い古した簡素なものではあるけれど、なんともいえない趣があり、歴史と人生を感じずにはいられない。おそらく曾おじいさんの代から受け継がれてきたような威厳を放つタイプに出会うと、これまで座ってきた人々の影が浮かび上がるから恐ろしい。「この椅子に誰が座ったのか知ってるのか? 市長も、警察官も、医者も、弁護士も座ったことがあるんだぞ」といった脅しが聞こえてくるようで、「長い間ご苦労様です」と頭を下げたくなってくる。 本来ならただ座れればいいだけのものに、無数のデザインや形がある。丸太を切っただけのもの、ペンキを何度も塗りなおしたもの、片方の肘掛が壊れたもの、背もたれの長いもの、3本足のもの。その全てが持ち主の性格を象徴しているようで興味深い。どんな種類の椅子でも、何十年もの間使い古したものは、人の体の形にすっかり馴染んでいるだろうから、さぞかし座り心地がいいんだろうなと思う。当然愛着も生まれるだろう。10年座ってみて初めて分かることもあるだろう。数々の思い出やエピソードもあるに違いない。次々と新製品が発売され、1、2年使ったらポイ捨てが当たり前の消費社会において壊れては直し、壊れては直しを繰り返し、一つの物をとことん使い込むことのできる人たちがいてくれて、なんだかとてもホッとする。
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