 サンパウロの街を走るタクシー
ブラジルでは地方によって様々なタイプのタクシーが走っている。車のタクシーはもちろんのこと田舎に行くとバイクによるモトタクシー、自転車によるビシタクシーなどが存在し、川の多いところではボートタクシー、馬の多いところでは馬車タクシーなどがあっても不思議ではない。 大都市サンパウロともなると、やはり自動車のタクシーが主流であり、市場を独占している。ブラジル最大の都市においてタクシーを拾うときに真っ先に向うところといえばPonto de Taxi(ポント・ジ・タクシー)と呼ばれる乗り場で、日中ならおおよそどの時間にも車が待機している。車は待機していてもしかしブラジルの運転手たちは車内で律儀にお客様の訪れを辛抱強く待つ人は実に少ない。仲間同士でトランプをしたり、ベンチに座りながら世間話をしたり、近くのバーでコーヒーを片手にTVを見ていたりする。仕事中にそんなことをしていいのですか?と聞きたくなるが、ここはブラジルだからそれでいいのである。 どこの国でもそうだが、ブラジルでもまたバスや電車に比べると自動車のタクシーは割高である。割高ではあるけれど、考えようによってはバスや地下鉄のような乗り合い式交通機関と違って自分だけのスペース、時間、目的地を独占できる貸切りサービスなのである。バス一台、電車一両押さえることに比べれば割高どころか格安であり、なんて豪華で贅沢な移動手段だろうか。そういう心持でいれば、席について目的地を告げるときなんかはさながらリムジンに乗っているかのような王様気分に浸れなくもない。車内に持ち込んだペットボトルの水からブランデーの味がしないでもない。安全性や便利さのためと思って利用する客もいるだろうし、運転手からの情報提供を充てにする人もいるだろう。また、とにかく誰かに話を聞いてもらいたい、会話を楽しみたいという人もいるかもしれない。ブラジル人には話好きの人が多く、タクシーの運転手とてそれは同じである。たかがタクシーの運ちゃんと思われるかもしれないが、その日、その場所で、その時間にその車を拾い、そのドライバーと数分なり数十分なりの時間を車内で一緒に過ごしたというのもまたひとつの出会いである。 一度お喋りなドライバーに当たったことがある。もじゃもじゃの髭を生やし、褐色の肌を持つ、おそらく50代後半だろう腹の出たそのおやじは、バックミラーごしにこちらを見て「どこの出身だい」と聞いた。「日本だよ」と答えると、「日本まで行くのに車で何時間かかるんだい?」と聞き返してきた。 「車じゃ行けないよ。飛行機じゃないと」 「飛行機かぁ。飛行機は乗ったことがないからな。おれは船にも乗ったことがないんだ。なんせサンパウロ州から出たことないんだから」 「ブラジルを知らないブラジル人だ」 「その通り、おそらく日本人のあなたの方がブラジルのことを知ってるよ」 「タクシー運転手は何年やってるの?」 「もう20年以上」 「20年かぁ。20年あったら日本にもいけるよ、車でも」 「そう?」 「うん。じゃあ、今から日本まで行こうか?」 「いいね」 残念ながらそのとき日本までタクシーでは行かなかった。日本どころか隣の駅まで行ったきりである。サンパウロの初乗り料金は3.50レアル(標準タイプ、2009年8月現在)。東京まで走ったら一体いくらかかるのだろうか、などと想像して車を降りた。あのおやじは今もサンパウロのどこかをドライブしているに違いない。
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