まず驚きなのがその大きさである。ブラジルでは大きくなければ意味がないといった風習があるのかコンパクトなモニュメントというのをあまり見ない。南米大国では渋谷のハチ公サイズではあまりにも迫力に欠け、待ち合わせ場所にすらならないのだろう。それにハチ公のような可愛らしい像を作ろうものなら、弱いものいじめが大好きなサッカーファンや酔っ払いたちに壊されてしまうという問題も出てきそうだ。だからこそ乱暴者を圧倒し、「これはとても壊せそうにないな」と思わせるスケールのものじゃないとダメなのかもしれない。
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| サンパウロにはこんなものや | こんなものが転がっている |
ところがどんなに大きくても町の風景と一体化してしまい、すぐに目立たなくなるのがモニュメントの宿命のようである。まだ見慣れていない最初のときだけ「なぜこんなところにこんなものが!」という気分になれるが、それを過ぎるとあまり人目を引かなくなり、やはり誰かが置き忘れていったような寂しさだけが残る。自然が創り出す芸術は何度見ても感動があるのに対し、モニュメントの賞味期限はあまりにも短い。しかし新鮮味がなくなるにせよ、人々に忘れられるにせよ町に馴染むということはある意味町の一員として認められた証拠だともいえる。「なぜこんなところに」が、「そこにあって当然」に変わることはそれを作った本人からしたらアーティスト冥利に尽きるに違いない。
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| すっかり馴染んだモニュメントとはこういうのを指す |



